顔文字について

Web上での顔文字使用についてだが、私は比較的気にしない方である(だった)。
特にチャットや掲示板などの“流動的な”テキストの場合、寧ろ幾らか存在しても良いのではないかと思っている。そこには少なからず『感情』という概念が紛れ込むからだ。会話は「感情の伝達」に大きなファクタがあるし、それを伝えるには言葉だけでは表現しきれない場合もある。勿論、顔文字の使用を単なる語彙と表現力の不足と捉える事も可能だが。
しかし、記事などの比較的“静的な”文書となると全く違う。文末に現れるその不可解な記号群に、奇妙な違和感を覚えて仕方ない。それもより技術的で、より興味深い記事ほど気になって気になって集中できない。良質の『情報』として捉えているはずなのに、著者の『感情』という余計な要素が無理矢理割りこんでくるからだ。書き手が泣こうが笑おうが万歳しようが、読み手にとってそんな事はどうでもいい。一方通行に提供されるドキュメントに、感情の押し付けは不要だ。概ね考慮された文章ならば、そのような物が無くともありありと著者の訴えるべき事柄が伝わってくる。
特に“読ませる”ためのテキスト系サイトの場合、あまりの顔文字の乱用は致命的だと思う。公開文書をコミュニケーションのための道具と勘違いしている。乱発はテキストに彩りを添えるどころか、真っ黒な墨汁をぼたぼたと撒き散らしているようなものである。例えば“(^^;)”などは情報に対する信頼性を大いに削ぐ。
私も覚えたての頃は面白がって使っていたが、直ぐに飽きてきたし、文章力の進歩が期待出来ない事が分かって止めた。